暇神見聞録

暇神見聞録

基本は鉄道関係のブログや旅関係、そのほかにもDIYやゲーム・e-sportなど、ゲーム関連についても書きます。後はフリーランスとして稼ぐためのあれこれを書いたりします。

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自己紹介を兼ねて、、、

 

 

初めまして、どーばーと申します!

 

 

今回独自ドメインを取得したに当たり、今までのブログを最新の情報に更新するついでに大幅に内容を変更したり追加したりしていきたいと思います。要はリライトですね!!!ということで早速ですが行ってみよう! 今回は今までの経歴をメインに紹介します。

 

 

覚醒前の俺

まあ今の俺はいろいろなものに噛み付いたり、レースゲームで切れのあるドライビングをしたりなど、ブログでは尖りまくっているクソガキですが、子供のころはこんなやつではありませんでした。クソガキどころかチキンでした。そんな印刷会社勤務時代の途中までの物語である。

ある意味波乱だった高校時代まで

1996年の4月に俺は札幌の地で生まれた。元々その時点で十分貧乏であったが、中学1年の時点では父親は勤めていた塗装会社をリストラされており、母親は俺が生まれた時点ですでに専業主婦であったため、さらに輪をかけて貧乏になった。特に中学1年のと気は、1年に2回も転向するという、転勤族でもなかなかない頻度で転校をした。

 

学校では一時期いじめられてたこともあり、特に小学生のときは、ちょうどいじめられていた時期に全国でもいじめで自殺する子供とかが多かった時代もあり、俺もその波に乗ろうかと何度も思ったが、母親に止められた。まあ、いざ死のうと思ってもなかなか人間は死なないものだからなと今では思うものの、昔はそのような考えができなかった。

 

高校も高校で部活は楽しかったものの、クラスでは陰湿ないじめがまた起こり、精神的に死に掛けてはいたものの、卒業間際に誰かがちくったかどうなのかわからないが、担任がこれ以上すると退学させると忠告したらしく、とりあえず卒業間際にざまあみろと思ったが、就職先に何度も応募するも何度も落とされ、なぜか進路担当の主任の先生に説教されたりと、なかなか腹が立ったことがあったため、あまり良い思い出はない。

ホワイト企業のように見えた本社は氷山の一角であった

そんな面倒くささと苛立ちマックスの状態で受けた印刷会社でミラクルが起こり、卒業一ヶ月前に内定が決まって、何とか高卒後すぐに印刷会社に勤めた。福利厚生的にはまあ満足であったが、今思うと社風とかいろいろな部分が3世紀以上前のような古風な感じであった。免許のときはめちゃくちゃ腹立ったな。こっちはぎりぎりの日程で少しでも早く取得しようとしているのに上司や社長からは遅いといわれていた。それでも本社のときはなんだかんだ定時に帰れるときがちょいちょいあったから良かった。しかしそれも長くは続かなかった。

覚醒したきっかけ

ここまで振り返っても、今の俺なら確実にブチギレていることばかりであったが、なぜか俺はキレなかった。よほどお人よしなのかまじめなのか良くわからないが。しかし、そんな俺でもついに堪忍袋の緒が切れてしまった。というよりはついに何かが壊れた。

ビーストモード発動

面接の時点でチラッと言われていた郊外の輪転工場の話は、ある日突然来た。その前の本社勤務の時点でもちょいちょい輪転工場に手伝い要員で借り出されていたりしていたが。この輪転工場の勤務が、まあエグかった。今の社会でブラック企業と呼ばれている企業と比べてもダントツでブラックだった。ひどいときには朝の8時から作業を開始し、作業が終わったのは朝の5時、当然ほとんどの人が会社で寝泊りし、そのまま朝の7時から作業をし、終わったのは朝の4時という。

 

この時点でもブラックであるのに、同じ輪転工場で働いている配送担当の人がまあ糞野郎だった。ちょいちょい怒鳴ってきたり、いちゃもん付けたりと毎回毎回嫌な思いをしていた。

 

そんな過酷な状況にもかかわらず、給料は20万足らず。本社なら勤まるのかといわれて答えたとしても、まったく聞く耳を持ってもらえなかった。当然こんな状況だからうつ病になるものの、親に相談してもとりあえずがんばれとしか言われず、中学から仲の良かったダチからも、やばいやんと言われるほど病んでいた。そしてついにその糞野郎に我慢ができず、悪態をつくようになった。この瞬間、今の俺の性格であるクソガキビーストモードが覚醒した。そしてそのときにようやく辞意を伝えた。もしあの時悪態をついていなければ、自殺をしていたか殺人事件を起こしていたかのどちらかだったに違いない。自殺はさすがに嫌だが、殺人事件ぐらいは起こしても良かったかなと思ったり思わなかったり。

顔も知らないあいワークのおばさん

辞意を伝えてすぐに親にもやめることを報告したが、親もヒステリーを起こして俺も親も正直パニックになっていた。そのときちょうど運転していたが、よく事故らなかったなと我ながら思う。それからしばらくして、会社を辞めてひとまず休みつつものほほんと過ごしていた。そして時を同じくして、母親も就職活動をしており、ちょいちょいあいワークというハローワークに似た施設に通っていた。ちょうどそのとき母親の就職相談の相談役となっていた加藤さんというおばさん(あったことないからわからん)に、俺が仕事をやめたことも話したらしく、俺が実家に寄った際にそのことを母親から聞いた。そしてそのときに、加藤さんの俺に対するありがたい言葉を言っていたらしく、そのことをそのまま俺に伝えた。

 

もう自分の人生を切り開ける年なんだから、子供の可能性を信じてあげな。むしろ1年以上い続けたこと自体今ではすごいことだから、とりあえず今は良くがんばったねとほめてあげて。

 

 

もうだいぶ前の話だからどのように言っていたかは忘れかけているが、唯一覚えていることは、俺はもう自分で自分の人生を切り開くことができる年であるということだ。

 

このことだけは今でも覚えており、こうしてブログを書いたりライターとして活動しているのも、この言葉があったからこそである。

 

 

覚醒後のワイルド期

地獄の印刷会社を辞め、人よりも長くゴールデンウィークを楽しんだ後に、俺はひたすら職を探した。そしてその際に見つけたのが、派遣会社であった。最初は派遣会社と走らず、とりあえず登録会があるからそれ参加してくれや的な感じで参加した。そして派遣とはいえ、まさかのあの会社のコールセンタースタッフになることになったのだ。

林檎を1ヶ月ちょいでクビに

 直接会社名を出すわけには行かないので敢えて似たような言葉に代えていますが、わかる人はわかるはずです。しかしここの研修がまあ覚えることたくさんでわややった。楽しかったけどね。でも最後の試験がめちゃくちゃ難しかった。特に実際の応対のところで一番大変だったな。気をつける部分がいくつかあって、俺もその部分については気をつけたが、足りないといわれてそれが原因で試験に落ちてクビになった。まあクビを宣告されたときは、こいつぶっ殺してやろうかなって思ったし、何より足りないってなによって思ったね。

次世代タバコとの出会い

それからほぼ日雇いのイベント設営のバイトをしたり、あるときは君の名はの無料試写会を当てたらしく一緒に見に行ったりとしていたが、そんな中で入ったのが、つい4ヶ月前まで勤めていた、次世代タバコに関するコールセンターだったのだ。ここも最初の数ヶ月で辞めたいと思ったが、母親に今辞めても就職先ないぞといわれて仕方なく続けていたが、なぜか成績がうなぎのぼりでよくなって気がついたら1年半いることになった。

 

まあ成績が良かったからということも合ったのだが、その影響かなぜか上司がルイヴィトンの財布を俺にプレゼントしたり、飲み会に来て欲しいと頼まれたり、さらには新人教育のトレーナーに抜擢されたりと、辞めようと思っているにもかかわらず、なぜかいろいろな人に愛されてしまった。

ラストチャンス

そんな幸せな思いをちょいちょいしつつも、それでも病むときは病んでおり、そのときに副業としてライターの仕事を始めた。その少し前からブログは書いていたが、そのときはブログで飯を食うことなんてまったく考えていなかった。というのも、ライターの仕事を始めたきっかけも、ブログののりで始めたものである。しかし、やっていくうちにライターとしても飯が食えるのではと思ったことをきっかけに、ついにコールセンターをやめて現在に至るのだ。

遠回りのように見えてすべて意味がある

 このブログの初めての記事がこれであり、今回独自ドメインを取得したことをきっかけに大幅に見やすくするために目次をつけたり、新たな内容などを追加したが、やはり結構経歴だけでも十分内容が多くなった。まあでも、最近はオンラインコミュニティに加入し、初めて見るという人もいるからこそ、改めて書き直したが、まったく前回の記事の面影がなさ過ぎて笑える。

 

正直なんでこんな雑な感じで2部構成にしたのかなぞである。まあ書いたのは俺だが。ということで次のラウンド2も隙を見計らってリライトします。

 

以上!